2023年2月21日

目指すは100歳まで現役ランナー

 54歳の誕生日に一念発起してランニングを始めました。医師になってからの30年間、忙しさにかまけて運動らしい運動を何もせず、徐々にメタボ体型に移行する自分の姿を見て、「このままじゃまずい」と焦ったからです。ランニングを選んだ理由は、すぐに始められる、一人でできる、いつでもできる、どこでもできる、大した用具が要らない、といった安直なものでした。もし三日坊主で終わったら別の運動を考えればいいやと気軽に始めたのですが、これが自分の体質と気質にぴったりはまったようで、以来11年間ずっと走り続けて今日に至っています。

 マラソン大会に傾倒したきっかけは、ランニングの開始から7か月後に出場した5kmレース(南魚沼グルメマラソン)です。今なら「たったの5km」と笑って言えますが、その時は前夜に眠れないほどの不安と緊張に苛まれました。ところがいざ走ってみると、沿道の人たちから「頑張って〜」「ナイスラン」と温かい声援を送られ、最後は笑顔でバンザイしてゴールに駆け込み、しかも想定外の好記録が出て、大きな自信と達成感を得ることができました。これぞ自分の生きる道だ!と確信しました。

 5kmを完走できるのであれば、もっと長い距離に挑戦したくなるのはランナーの性です。ランニングを始めて約1年後の55歳時、新宿ハーフマラソンに初出場し1時間52分で完走しました。この調子なら、3ヶ月後の霞ヶ浦マラソンでサブフォー(= 4時間以内のフルマラソン完走)を容易に達成できるぞと、ニンマリ笑みが浮かびました。しかし現実はそう甘くありません。スタートから25kmまでは快調に飛ばしたものの、足腰の痛みがピークに達した30kmから先はほとんど走れなくなり、最後は這うような速度でよたよた歩きながら4時間28分で完走(完歩?)しました。その時に体験した地獄の痛みと苦しみは、今もときどき夢に出てくるほどです(苦笑)

 レース後半に大失速した反省に立って、ランニングのフォームから練習の方法まで、全てを見直しました。8ヶ月間しっかり走り込んで臨んだ加古川マラソンで3時間56分を記録し、念願のサブフォーの仲間入りを果たしました。以来10年間、北は北海道から南は九州まで全国36大会に出場し、走行中の肉離れで途中棄権した1回を除き、35大会で完走(サブフォーは32回)を果たしています。

 ランナーはどこまでも欲張りです。次第に42.195kmでは物足りなくなり、58歳時に北オホーツク100kmマラソンに初挑戦しました。生まれて初めて味わう苦しみと脚の痛みに耐えて、11時間24分かけて満身創痍で完走し、フルマラソンとは別次元の達成感に浸ることができました。以来5年間で5大会に出場し、全て完走しています。ウルトラマラソンは究極の難行、苦行です。なぜ走るのか?   100kmを走りながら見る景色は、普通の景色とは全然違います。スタートからゴールまで、全ての景色が鮮やかに脳裏に刻み込まれています。誰にもできないことをしているという高揚感が、あるいは、極限に迫る肉体の苦痛や疲労感が、脳の感受性を一時的に変えてしまうのかもしれません。まぁ年に一度くらいは無茶をして、脳と身体に強烈な喝を入れるのも悪くないと思います。

ランニングの効用は何でしょう。身体に良いか?  たしかに数kmのジョギングは(それが毎日なら尚の事)健康を増進するでしょう。運動後のビールが美味しいし、御飯が進みます。それでいて太りません。ただフルマラソンやウルトラマラソンの長距離走は、他人には勧めないです。はっきり言って身体に悪いから。精神衛生に良いか?  これは間違いなく良いと断言できます。自分の場合、オンとオフの切り替えに役立っています。走っている間は何も考えません。頭を空っぽにしています。走り終えた後は心身共に(とくに頭が)すっきりして、新たな発想や意欲が湧いてきます。ランニングは仕事や(他の)遊びへの原動力になっています。

ランニングは今や日常生活の一部になりました。目標は一日でも長く走り続けることです。孫たちと一緒にフルマラソン大会に出場することが夢です。そうなると、最低でもあと18年間は現役ランナーでいなければなりません。18年後といえば83歳 … 気が遠くなる年月ですが、どうせなら100歳まで走り続けようかとも考えています。記録によると、フルマラソン完走の最高齢は、2011年のトロントマラソンでの100歳6ヶ月。人類初の快挙だったそうです。目指すは「スーパー爺さん」です。いつの日かギネスブックに載るかもしれませんよ(笑)