アレルギー疾患が増えています。最大の原因は環境の変化です。冷暖房完備の密閉式住宅(ダニの増加)、大気汚染、スギの植林政策、動物性蛋白を多くとる食生活は、すでによく知られた原因です。近年、これらの要素とは別に、乳幼児期に非衛生的環境にいたり感染症にかかったりするとアレルギー疾患にかかりにくい(逆にいうと、感染症にかかる機会が少ないとアレルギー疾患を発症しやすい)とする「衛生仮説」が注目を集めています。
1989年に英国の疫学者Strachanは、兄や姉の人数が多いほど下の子が花粉症にかかる頻度が低いことを見いだし、幼少期に年長者から感染症(かぜ)をもらうことがアレルギー疾患の発症を抑えていると推論しました。衛生仮説の始まりです。Strachanの報告以後、(1) 生後6ヶ月までに保育園に預けられた子ども(風邪にかかる機会が多い)は、そうでない子どもより6歳以降の喘息の罹患率が低い、(2) 家畜を飼育する農家で生まれ育った子ども(細菌由来のエンドトキシンに曝される機会が多い)は、そうでない子どもより喘息の発症率が低いなど、衛生仮説を支持する調査報告が相次いでいます。
人体の感染防御やアレルギーは、主にヘルパーT細胞という免疫系が関わります。ヘルパーT細胞には1型(Th1)と2型(Th2)があります。Th1は体内に侵入した病原体を撃退し、Th2はアレルギー反応を誘導します。同じヘルパーT細胞でも型により働きが異なるわけです。生まれたての赤ちゃんのヘルパーT細胞はTh1ともTh2ともつかぬ未熟な形状ですが、生後さまざまな微生物に曝されることでTh1が発達し、逆に無菌的状態ではTh2が発達し、次第にほどよいTh1/Th2バランスが形成されます。しかし衛生環境の改善により微生物からの刺激が減ると、Th1の発達が不十分なままTh2が優位になり、アレルギー疾患を発症しやすくなります。以上が衛生仮説の理屈です。とてもユニークで興味深い着想だと思います。ただし人間の免疫系にはTh1/Th2バランス以外にも複雑な仕組みがあり、衛生仮説はまだ完全に確立された理論ではありません。今後も十分な検証が必要です。
たとえ衛生仮説が正しくても、衛生状態をわざと悪化させたり病気にわざとかかったりすることが推奨されるわけではありません。人類は病原体との闘いの中で自らの生存権を確保してきました。病原体に対する予防と治療の大切さは不変です。かかったら生命に危険が及ぶ病気(定期接種、任意接種に定められている感染症)についてはワクチンを積極的に接種すべきですし、手洗いや咳エチケットはしっかり守らなければなりません。
衛生仮説を考慮すべき場面は、抗生物質の適正使用です。医療の現場であまりにも安易に抗生物質が処方されていること、それに伴って耐性菌が急激に増加していることは、以前のコラム(風邪と抗生物質。抗生物質の適正使用を)で紹介しました。抗生物質の乱用は、病原菌のみならず体内で共生する常在菌まで排除して、微生物による適度な刺激の機会を奪い、Th1の発達を妨げてしまう可能性があります。事実、乳児期に抗生物質を使いすぎると将来の喘息の危険が若干高まることが大規模疫学調査で明らかにされ、昨年の米国小児科学会誌に発表されました(Pediatrics 2009; 123, 1003)。衛生仮説の観点からも、抗生物質は必要と判断したらしっかり使う、そうでない時は使わない、という確固たる姿勢が必要と考えます。