昨年7月31日、北オホーツク100kmマラソンに出場しました。42.195kmより長い距離を走るのは初めての経験でした。苦難に満ちた道中でしたが、大きな達成感を得ることもできました。年頭のコラムは、その時の心象風景を書き留めたものです。神奈川県医師会報の「平成29年 新春随想増刊号」に掲載された文章に一部、加筆しています。医学・診療とは関係のない駄文ですが、お時間が許せばご一読ください。
百キロの距離を自分の脚で走る。いささか無謀ともいえる試みに昨夏、挑戦した。大会は北オホーツク100kmマラソン。スムーズな運営とアットホームな応援で名高い。開催地は北海道の北端に位置する浜頓別町。走者たちは町の中心に建つアリーナを起点に、広大な町域を8の字形に周回する。湖沼、原野、海岸、牧場などを巡る美しいコースだ。
自分は生来、運動が好きではない。メタボ解消の必要に迫られて走り始めたのは、今から5年前、54歳の誕生日。最初は1〜2kmを走っただけで息切れしていたが、すぐさまランニングの魅力に取り付かれ、以来せっせと練習を積んで脚力を磨いてきた。フルマラソン(42.195km)を完走できるようになれば、次の目標はウルトラマラソン(100km)である。
前日に現地入りし、参加手続きを行う。「コース上にヒグマが現れたら大会を中止することもあります」と書かれたチラシをもらう。すごく遠い所に来てしまったなぁと実感する。宿に入って夕食を済ませ、20時に早々と就寝する。大会当日、2時に起床して食事をとり、3時発のバスに乗車し、4時前にアリーナに着く。7月の北海道は日の出が早く、周囲はすでに薄明るい。ストレッチで身体をほぐし、5時のスタートを待つ。緊張感が徐々に高まってくる。
レースの制限時間は14時間。早朝の5時に出発し、遅くとも19時までに帰還しなければならない。30km地点と50km以降の10kmごとに関門があり、決められた時間内に通過しないと失格になる。なかなかに厳しい大会なのだ。はるばる遠方まで走りに来て「記録なし」に終わるのは御免だ。必ず完走するぞと、頬を叩いて気合いを入れる。
出発点に集結したのは431人のランナーたち。鍛え抜かれた肉体が勢揃いする。号砲一発、一斉にスタートする。街中を抜け、クッチャロ湖畔を通り、10km付近でエサヌカ直線道路に入る。平坦な原野を貫く一本道だ。遠方にエゾシカの群れが見える。雲が空一面に広がり、太陽は隠れている。気温は22℃。涼しいうちに距離を稼いでおこうと一気に加速し、そのまま快調に飛ばす。
エサヌカを25km過ぎに出て、牧場の広がる丘陵地帯に入る。牛たちが長閑に草を食んでいる。アップダウンが連続するが、上り坂でも速度を緩めない。42.195km地点も難なく通過。ここから先は未知の領域だ。薄日が雲間から射してきた。少し暑い。ほどなくして中間点(50km)のアリーナに戻ってくる。あとから振り返ると、前半のオーバーペースが後半の大失速を招いた。しかしこの時点ではまだ気づかない。数分間の休憩中に軽食を急いで食べ、ストレッチをしたのち、「さあ、ここからがウルトラマラソン」と気分も新たに張り切って駆け出す。
街中を抜けて間もなく、紺碧のオホーツク海に沿う道を行く。空を覆っていた雲はどこかに消え、陽光が燦々と降り注ぐ。気温が次第に上昇し、30℃を超える。浜頓別で年に一度あるかないかの暑い日に当たってしまった。いつしか両脚に不吉な痛みと怠さが忍び寄っている。おそらく異変の前兆であろうが、気の所為ということにして、速度をできるだけ落とさずに走り続ける。
60km地点で海を離れ、再び丘陵地帯に入る。そして、豊寒別・折り返しの63km付近の上り坂。ここで脚がパタンと止まった。徐々に止まるのではなく、いきなりパタンである。頭は進めと命じるのだが、脚は言うことを聞かない。喉がやたらと渇き、視界が霞む。どうやら、足腰の筋肉に乳酸が蓄積し、脱水と低血糖が迫っているようだ。困った、この先まだ35km以上あるのに。5分ばかり歩いて息を整え、気を取り直してゆっくり走り出す。もう速くは走れない。
70〜80kmの間は、アップダウンが連続するコース最大の難所である。走り通す元気は残っていない。上り坂をとぼとぼ歩き、下り坂をよたよた走る。約3kmごとの給水所に着くたびに、頭から水をかぶり、栄養と水分を補給する。足腰の筋肉が硬く強張っている。「脚が棒になる」とはこのことだ。おまけに両足裏のまめが破れた。一歩ごとに激痛に襲われる。しかし、苦しくて歩くことはあっても、決して立ち止まらなかった。「とにかく1km先まで行く」「大丈夫、絶対にゴールできる」を念仏のように唱え、重い足をひたすら前に運ぶ。もはや修行である。
80kmから先の景色はほとんど覚えていない。疲弊した心身に深く響いたのは沿道の声援だ。「玉井さん、ナイスラン」「頑張れ、玉井さん」と名指しの激励が届く。ゼッケンと選手名簿を照合して名前を呼んでくれるのだ。心遣いが嬉しい。手を振って笑顔を返す。
苦しい道中をなんとか遣り過ごし、元気を取り戻したのは、街中に戻ってきた98kmから。あと少しだ。ゴールに家族が待っている。いいところを見せたい。格好良くフィニッシュしたい。残り2km、気力を振り絞り、足腰に鞭打って疾走する。まだ余力があったのだ。
ゴール手前200mの「ビクトリー・ロード」は歓声と拍手に包まれていた。万感の思いを込めて、拳を高々と突き上げてゴールイン。「玉井さん、ゴ〜ル!」とアナウンサー嬢が叫んでくれる。時計の針は16時を回っていた。完走メダルを首に、完走タオルを肩に、大会スタッフから掛けてもらう。家族が駆け寄ってくる。半日ぶりに地面に腰を下ろし、脚をさすり、靴ひもをほどく。100kmを完走した喜びと安堵がじわりと湧き上がってくる。困難なことに挑戦し、それを達成する力が自分にまだあったことを誇りに思う。ひと息ついた後、続々と還ってくるランナーに声援を送る。過酷なレースを耐え抜いた勇者たちの顔は、どれもがキラキラ輝いて見える。
大会後の数日間、両足の痛みと浮腫みが退かず、まともに歩くことができなかった。歩く以前に、痛みで夜中に何度も目が覚めた。これほど健康に悪いスポーツは他にない。100km走なんてもう懲り懲りだと思った。しかし痛みが癒えた今、再び走りたい気持ちが高まっている。たぶん今年も大会に出場するだろう。フィジカルとメンタルの両面でどれだけ強くなっているか、自分の成長が楽しみである。ランニングは素敵だ。一生の友にしたいと思う。 (完)
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【記録】 完走タイム 11時間24分39秒 (前半 4時間53分27秒、後半 6時間31分12秒)
総合順位 46位 種目別順位(50歳代男子) 9位
出走人数 431名 完走人数 235名 完走率 54.5%