2014年3月2日

東京マラソン2014 完走記

 2月23日、「東京マラソン2014」にチャリティーランナーとして出場しました。54歳の遅咲きデビューでランニングの世界に入ったきっかけが、東京マラソンに出てみたいという少年のような純粋な?願望。以来、地道な練習を続け、各種大会で経験を積み、ついに2年4ヶ月を経て、あこがれの舞台に立つことができました。当日の模様をお伝えします。

《スタートまで》
 朝5時に起床し、赤飯とお餅の朝食をたっぷり摂り、7時前に家を出ました。小田急ロマンスカーが新宿に到着する際、「本日、東京マラソンが開催されます。出場する選手の皆様のご健闘をお祈りいたします」と粋な車内放送が流れ、自分への激励だと合点して気分を盛り上げました。スタート地点の都庁前に着くと、すでに人、人、人の大群衆。皆さん、それぞれに緊張した面持ちでスタートを待っています。主催者の挨拶と国歌斉唱の後、9時10分に号砲が鳴りました。紙吹雪が舞う中、「うぉー」と地鳴りのような歓声があがり、3万6千人のランナーが一斉に走り出しました。壮観でしたよ。私もいつしか人の波に呑み込まれていました。

《コース》
 新宿を出発し、外堀通り、皇居前、日比谷公園、東京タワー、品川、銀座、日本橋、浅草、築地、有明など、都内有数の観光名所を駆け抜け、終点の東京ビッグサイトに向かう42.195kmです。道はおおむね平坦ですが、湾岸エリアに軽い起伏があります。途中、クリニックのスタッフたち、マラソンの師匠、大学医局の後輩たち、家族(妻から孫まで)が、沿道で待ち受けて声援を送ってくれました。地下鉄やJRを利用してランナーより先回りし、さまざまな場所で応援するのが東京マラソンの流儀のようです。あちらこちらで元気づけられましたよ。テレビやネットで応援してくれた友人も大勢いました。電波を介して元気をもらえたと思います。

《前半〜中盤、0〜30km》
 レース中盤まではすこぶる元気で、周囲のランナーや応援の光景を見る余裕がありました。東京マラソンの特色のひとつは、仮装ランナーの多さです。ざっと目にしただけでも、スーパーマン、白雪姫、マリオ、仮面ライダー、くまモン、グリコのおじさん、パンダ、カニ、タコ、おむすび、新郎新婦、ふなっしー、ニンジンをぶら下げた馬 … たくさんいて覚えきれない。仮装していると声援を受けるチャンスが多いみたいです。タコの被り物をした人は「たこ〜、たこ〜」、新郎新婦は「おめでと〜!」と声をかけられていました。来年はタイガーマスクに扮して出ようかしら(古いなぁ)。二つめの特色は、応援する人の多さ。百万人が沿道を埋め尽くしたとか。たしかに、スタートからゴールまで途切れることなく熱い声援が続きました。チアリーディング、阿波踊り、フラダンス、和太鼓などの催し物が随所で行われ、ランナーと演者が手を振り合う場面もしばしば。楽しかったのは「YOUNG MAN」の演奏でしたね。ランナーが曲に合わせて ”Y.M.C.A.” の振り付けをしながら走り、楽団と一体になっていました。テンションが一気に上がりましたよ、ここは。まさに東京が一つになってのお祭りだと感じました。三つめの特色は、超一流ランナーを間近で見られることです。品川で折り返してくる先頭集団とのすれ違いを楽しみにしていました。しかし運が悪かったのか、誰ひとり目にすることができませんでした。彼等はあまりにも速すぎて、ずっと先に行ってしまっていたのでしょう。異次元の走りを見たかったのになぁ。残念。

 30km地点の浅草橋の通過時刻は2時間45分33秒。目標としていた1kmあたり5分30秒のペースをほぼ維持できています。順調です。駅前の人混みの中にクリニックのスタッフを見つけ、駆け寄って笑顔でハイタッチ。よし、あとはたったの12km。しかしそこからが長かった …

《終盤、30〜42.195km》
 フルマラソンを走るたびに経験することですが、30kmを過ぎると足腰の筋肉と関節が順々に痛くなり、最後はどこが痛いか分からないほど全てが痛みます。下半身が鉛のように重くなります。俗にいう30キロの壁ですね。今回もはやり壁は訪れました。「30キロからがマラソン」「苦しい時こそ笑顔で」の応援ボードを見て気合いを入れるのですが、脚が言うことを聞いてくれません。サイドブレーキを引きながら車を走らせる感覚です。こんなはずじゃないと思いながらも、スピードが徐々に落ちてきます。思考がまとまらなくなります。視界が狭まり3m近辺しか認識できなくなります。京橋と銀座で応援してくれているはずの後輩たちと家族を見逃しました。「あと8キロだぞ〜!」「頑張って下くださぁい!」「脚はまだ動いてるよ〜!」などの声援は耳に入ってきます。力を振り絞って沿道に近づき、次々に差し出される手にハイタッチしまくって元気をもらいます。これほど大勢の人たちとハイタッチをした大会は初めてです。「重い足 気のせいだから 前を向け」という応援ボードが目に入ります。そういえば、大阪マラソンの映像で「疲れた? 気のせいや〜」「脚が痛い? うらやましい痛みやでぇ!」なんてボードを見たなぁ。そうだ、疲れと痛みを笑い飛ばす余裕が必要なんだと悟りました。熱意あふれる応援と思考回路の切り替えのおかげで足腰の不機嫌がやわらぎ、スピードが少しだけ上がりました。このまま行けそうな感触です。最大の難所といわれる佃大橋を無事に越え、湾岸エリアの起伏も乗り切り、結局、最後まで歩かずに走り通しました。ラスト195mの直線を全力疾走し、笑顔で万歳してゴールイン。あぁ、これでやっと休める。フィニッシャーズタオルを肩に、完走メダルを首にかけてもらい、苦しいレースを完走した喜びに浸りました。

 ゴール時のタイムは3時間56分43秒。終盤は1kmあたり5分50秒のペースでした。最後まで粘ることでサブフォーを達成できて(一歩でも歩いていたら気持ちが切れておそらく達成できなかったでしょう)、よく頑張ったぞと自分を讃えたいです。

《ゴール後》
 ゴール地点でも荷物預かり所でも更衣室でも、大会スタッフの皆さんから盛大な拍手をいただきました。この日ばかりは自分が主役と心得て、笑顔で手を振ってお礼を申し述べました。大会の運営に携わってくださった全てのスタッフとボランティアの方々に、心から感謝の意を表します。会場を出た後、大学医局の後輩たちに誘われて大江戸温泉物語にくりだし、打ち上げ会をしました。完走記念の月桂冠を頭に乗せてもらい、またまた完走の喜びに浸ることができました。さらに、家族、友人、クリニックのスタッフたち、クリニックに来られる子どもや親御さんから、お疲れさま、すごいですね、テレビ観てましたよ、と労いの言葉をかけられ、今日に至っています。個人的な道楽として出場した東京マラソンでしたが、実に多くの人たちに支えられていたことを実感しました。皆さんにマラソンの魅力を伝えられるように、そして元気を差し上げられるように、これからもせっせと練習に励み、大会に出場し続けたいと思います。次のレースは4月中旬の長野マラソンです。早春の信濃路を走ります。応援をよろしくお願いしますね ヾ(^_^)